蒲生君平が見たであろう風景を現代の長倉に行く


平成24年5月6日



寛政の三奇人の1人である蒲生君平の足跡を追跡する
君平の生誕の地宇都宮
を朝に発ちました
栃木県茂木町から新那珂川橋
経由でここ茨城県常陸大宮市長倉に着きました

この日は
あの茨城県つくば市北条地区で竜巻の
大災害が起きた日でした

その時の約2時間くらい前に、この地にいたのです
もし友人のYI君の
所に訪問していたらと考えると
ぞくっとしてしまいました

帰りはツインリンク茂木経由
でしたが、
自宅についた頃にニュースではツインリンクあたりに
大きな雹(ひょう)が降ったとのこと

ゆっくりしていたら
車に傷が
ついたかもしれませんでした

__.JPG

この少し宇都宮よりのところから
那珂川
長倉の岸を撮影しました

__.JPG

蒲生君平が見たであろう長倉の風景
今から約250年くらい前
寛政七年
(1759年)
君平二十八才のころです、漢詩の中に
春の長倉の葦岸と出てきます



君平三度奥州に遊ぶ

蒲生君平は初夏のころ、宇都宮を発ち水戸に赴いた

宇都宮から那珂川を使い水戸に行く途中の長倉あたりの写真です。

__.JPG
撮影:平成24年5月6日(日)

(那珂川を下りて水府に赴く)

                   蒲生君平

百里の中川 緑芳に傍(そ)う

日晴れて 雲樹 共に蒼々たり

長倉の葦岸(いがん)に 春色を余し

細谷の烟(えん)村は夕陽(せきよう)を帯ぶ

枕に縁(よ)って 笈(きゅう)中より書出(しょいだ)すに懶(ものう)し

波に驚きて 舟裏(しゅうり)夢長きこと難(がた)し

自ら憐(あわれ)む 身世(しんせい) 常に定め無きを

昨日 郷を離れ 却って郷を望む



満月と勅旌碑 宇都宮

 平成24年4月5日

宇都宮市花房三丁目にある

蒲生君平勅旌碑にて

二つ碑を輝き照らす春の月
暁雲

4月季語:春の月、春月

二つ碑とは:東京都台東区谷中にある龍興山臨江寺にある勅旌碑
と写真の勅旌碑を指します

21時14分

蒲生君平勅旌碑にかかる満月を撮りました

Nikon D70 Tokina AF19-35mm 1:3.5−4.5
勅旌碑に係る満月

勅旌碑と満月ストロボ

不動前から望遠レンズで撮影

21時49分

Nikon D70
SIGMA DG 150−500mm 1:1.5−6.3APO HSM
2× TELEPLUS PRO300

満月不動前

満月



偉人蒲生君平(勅旌碑)

 平成24年2月27日

暖かい一日でした

ハガキをポストに入れに行きました

少し足をのばし

蒲生君平勅旌碑(ちょくせいひ)まで行きました

この碑はひっそりと

住宅街に

建っています

町中に建つ碑知らずや浅き春
暁 雲

季語:浅き春


蒲生君平勅性碑

梅の芽が少し膨らんできました

もう少しです

勅旌碑の梅



満月の勅旌碑(ちょくせいひ) 蒲生君平没後199年

 平成24年1月9日

夕方散歩てす


花房3丁目の蒲生君平勅旌碑(ちょくせいひ)の前を歩いていると

満月でした

勅旌の 碑を照らしたる 寒の月
暁 雲

寒月の勅旌碑


望遠レンズで覗いて見ました

君平も 見たであろうか 寒月を  
暁 雲


満月

勅旌碑をはっきりお見せします

所在は宇都宮市花房3丁目 
東武鉄道宇都宮線と不動前通りの交差部近くにあります

昼間の勅旌碑




蒲生君平顕彰 下野新聞記事

 平成24年1月4日

下野新聞の1月4日一面トップに

蒲生君平

顕彰について
記事が掲載されました。

インターネット「soon」にも掲載されています。
http://www.shimotsuke.co.jp/

蒲生君平画
蒲生君平像
(市指定文化財・蒲生神社蔵)
小堀鞆音(1864〜1934) 画 



蒲生君平例大祭

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蒲生君平似顔絵

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宇宮ラマパーク長崎屋地下1階にある餃子の来らっせ前にあるノートにありました。メガネをかけている蒲生君平さんですね。

偉人「蒲生君平」が広報うつのみや(宇都宮市)に載りました

広報うつのみや(宇都宮市)新年号に「蒲生君平」が特集で掲載されました。
表紙
広報うつのみや表紙3
36頁の一部
君平説明文4
掲載文の内容
宇都宮が生んだ学者・思想家
蒲生君平(がもうくんぺい)
(1768〜1813)
今年度は、蒲生君平の生誕240年です。この機会に、蒲生君平を知り、市内に残るゆかりの場所に足を運んでみましょう。
生まれは宇都宮
 蒲生君平は、宇都宮の新石町(しんこくちょう)(今の小幡1丁目)の福田家に生まれました。幼少の頃から学問に熱心だったといわれています。
多くの人々と交流
 鹿沼(鹿沼市)の鈴木石橋(せっきょう)、黒羽(大田原市)の鈴木為蝶軒(いちょうけん)、江戸(東京都)の山本北山(ほくざん)の教えを受けました。また、全国各地を旅して見聞を広めるとともに、藤田幽谷(ゆうこく)・高山彦九郎(ひこくろう)・林子平(しへい)・本居宣長(もとおりのりなが)・平田篤胤(あつたね)・滝沢馬琴(ばきん)など、数多くの人々と交流しました。
「前方後円墳」を発案
 近畿地方の古墳を数多く調査し、著書「山陵志」(さんりょうし)のなかで「前方後円」という言葉を使用しました。古墳の形を表す「前方後円墳」という用語は君平が起源なのです。のちに宇都宮藩では、君平とのゆかりもあって、近畿地方の天皇陵といわれる古墳の修理に携わりました。
君平の思想
 当時の日本は鎖国(外国とのつきあいをしないこと)をしていましたが、君平は諸外国の船が周辺の海に出没する状況を見て、国を守る方法を考えました。また、朝廷を尊重する考えをもっていたので、朝廷を中心とする国のあり方を考えました。
 これらの思想は後の世に大きな影響を与えました。吉田松陰も君平の著作を読んだと言われています。
今も残る君平の面影
▲蒲生君平の墓
(清住町1丁目・桂林寺)君平の遺髪を葬ったものといわれています。
▲蒲生君平勅旌碑(しょくせいひ)
(花房3丁目)
君平の業績をたたえるため、1896年に建てられました。
 問い合わせ 文化課

kobahiro
 松下村塾で出版された君平の著書『不恤緯』(ふじゅつい)が宇都宮城址公園敷地東側にある清明館に陳列してありますので是非見て下さい。5冊くらい置いてあります。ほか君平の関係資料が見ることができます。
4年後の2013年には蒲生君平没後200年になります。

「蒲生君平生誕の地を歩く」マップがラパーク長崎屋宇都宮店地下1階の餃子の来らっせ前通路に置いてありますので散策の参考にしてください。

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