野口雨情の故郷 天妃山(てんぴさん)

 8月7日(土)
野口雨情が子供のころ、家の前の天妃山や回りの海辺で遊んだ事だろう。
生家から南東方向約200m位の所に天妃山(てんぴさん)がある(写真中央)、山の西側に鳥居があり、石段を登ると神社がある、ここはを雨情少年と竹馬の友渡辺年之介少年が遊んだ場所だろうと思いながら登ってみた。
天妃山
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
この写真はとしまや月浜の湯駐車場から撮影しました、防波堤の上に小さく鳥居が見えます、手前は大北川、右手の砂浜奥が太平洋です。
それでは天妃山に登りましょう
入り口の鳥居です
鳥居
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
階段
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
雨情少年達はこの階段を駆け上ったのだろう
弟橘媛神社本殿
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
神社名板
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
弟橘媛神社由来
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
ここに水戸黄門でおなじみの徳川光圀(1628〜1701)が元禄三年(1690)この山に天妃神を祀ったのですね、元禄三年に隠居して元禄4年に西山荘に隠棲した。この山の上に展望台があります。
天妃山からの眺望
photo bay kobahiro 2009.6.7.13nikon D70
展望台から北方面を撮影しました。大津岬が見えます(約5.5Km)
西山公お腰掛石
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
展望台の所にこのような石碑と腰掛石がありました。石碑には西山公お腰掛石と刻んでありました。
今から約300年前にここで水戸黄門がこの素晴らしい景色を眺めたのですね。
大津岬と灯台
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
Nikon AF NIKKOR 70〜300mm + KENKO 2× TELEPLUS PRO 300
望遠レンズを使うとこのように見えます。(天妃山から約5.5km先です)
大津岬灯台が白く見えます、見えませんが灯台の先には五浦の六角堂があります。


夏の野口雨情生家(北茨城)

 8月7日(土)
宇都宮から車で来ました本当に近いです。

 「野口雨情」郷愁の詩とわが生涯の真実・・・・・から

私を今日あらしめた父母の教訓
我儘だった子供のころ

私どもの家は茨城県磯原町に古くから住む水戸藩の郷士で、生活に困るというほどでもなかったので、随分自由に我儘に育てられて来ました。・・・・・・本文抜粋
2010年1月25日 第1刷発行 著者 野口雨情 編者 野口存彌 発行者 高野義夫
発行所 (株)日本図書センター

野口雨情生家
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
百日紅が咲く雨情生家、この建物は雨情さんが生まれる12年前くらいに建てられたようです。
写真を撮っていると80歳くらいのおじいさんが現れ話をきくと「わたしは雨情さんにあったことはないよ」と話してくれました。雨情さんは明治15年うまれ、おじいさんは昭和5年うまれですね、その頃は雨情さんは東京に住んでいましたので会うわけないですね。
雨情生家入り口
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
ここの門をはいると雨情さんの生家野口家です。  
いまにも雨情さんが出てきそうですね。

雨情さんはここで自由に育ったのです。
エピソードがあります、
これも「野口雨情」に記してありましたが、
雨情さんが三、四歳のころ磯原に毎日飴屋が来ていました、もちろん雨情さんも仲間と一緒に雨を買ってなめていたのでしょうね、あるとき雨情さんは飴屋のまねがしたくて、その飴屋の飴箱を買ってくれと言い、新しい飴箱と交換に使っていた飴箱をついにもらってしまったという話があります。・・・・このように自由に育てられたようです。
 雨情さんのお父さんは自由に我が儘に育てるだけでなく、しっかり教育していたと言うことです。「他人と争うことはしてはいけない、負けるが勝ちをいうことわざがあるように、形の上で敗けても、良い心の上で勝て」としっかり教育していたそうです。
雨情生家ご神木
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
これは雨情生家で聞きましたら、写真の大木は楠だとのことでした。
徳川光圀は(1628〜1701)とするとこの大木は樹齢300年以上ということですね。

 ある本に書いてありましたが、光圀公下賜の野口家の御神木楠。と書いてありました、また「昔は枝を折ることさえ禁じられ、しめ縄が張られていた」と大津さんという女性が話したと記してありました。

雨情の故郷  二つ島と通りゃんせ像

 8月7日(土)
 天気が良いので、ちょいとひとっ走り
詩人野口雨情さんの故郷へ行こうかなと
愛車でスターしてしまいました。

宇都宮をお昼に出発、北関東自動車道路をひた走りました。

友部JCTから常磐自動車道路そして北茨城ICで降りました。
宇都宮上三川ICから北茨城ICまで約1時間30分くらいで到着
(グーグルマップで調べたら、117km 1時間28分でした。)
国道6号線沿いの大北川を右にみて、雨情生家到着。 本当に近いですね。

天妃山周辺散策。
ここまでは、次回にUPします。(後先になりますが)

それから北へ国道6号「陸前浜街道」を走りました。
またまた、グーグルマップでここまでの距離と時間は、
北茨城ICから4.7km  7分です。
通りゃんせの像
 遠くに見える半島には大津港や大津岬灯台がります、六角堂や天心遺跡記念公園など有るところです。
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
通りゃんせ像2
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
国道6号線のすぐわきにこの「通りゃんせの像」があります。 (上:海の方向 下:陸の方向)
これは山崎猛氏が「あの町この町」からヒントを得て作ったそうです。

 男の子と女の子が遊んでいる様子ですね、遊びに夢中になった二人、星が出るまで遊んでしまい、家から遠くに行ってしまい気がつくと星が出てしまったと言うことですかね。

 あの町この町
    日がくれる 日がくれる
 今来たこの道
    帰りゃんせ 帰りゃんせ
 お家がだんだん
    遠くなる 遠くなる
 今来たこの道
    帰りゃんせ 帰りゃんせ
 お空に夕べの
    星が出る 星がでる
 今来たこの道
    帰りゃんせ 帰りゃんせ
 
二つ島
photo bay kobahiro 2010.8.7 nikon D70
二つ島です、通りゃんせの像はこの島のすぐそばにあります。
通りゃんせ像と二つ島

この島のずーっと東は何処でしょう?
 野口雨情の「磯原小唄には
    ・・・・・・
     東を見れば
        テモヤレコラサ 
      見えはしないが
          見えたなら
     あれはアメリカ
      チョイト合衆国
  
 にありますようにアメリカ合衆国です。
通りゃんせ像説明 この説明板は通りやんせの像のすぐわきにありました。
これで終わり宇都宮に同じルートで帰りました。
ETCカードがないので高い(適正な)高速料金を支払いました。

赤い靴はいてた女の子 (横浜 山下公園)

今日は横浜山下公園内にある「赤い靴はいた女の子」像に合いに行きました。 氷川丸ベイブリッジ 女の子像前の海の風景 左側にはベイブリッジ右側には氷川丸が見えます
赤い靴横浜  詩人野口雨情が大正10年に「赤い靴」を「小学女性」に発表
 本居長世が大正11年作曲

赤い靴    
    作詞 野口雨情  作曲 本居長世
 1 赤い靴はいてた  女の子     異人さんに  つれられて  行っちゃった  
 2 横浜の埠場から  船に乗って    異人さんに  つれられて 行っちゃった  
 3 今では青い目に  なっちゃって    異人さんの   お国に   いるんだろう
海を見ている赤い靴少女
   女の子はいつも海をみてるのですね、
     アメリカに帰ってしまった神父さんのことを考えているのかな   
    
赤い靴像詳細横浜
         山本正道 作 1979年11月11日 童謡赤い靴を愛する市民の会 と刻んであります。 氷川丸

詩人 野口雨情を訪ねてその(4)(天妃山 北茨城市)

 5月27日(木)
食事の後は天妃山へ天妃山
この小高い山が「天妃山」です。  この山は雨情とその友人渡邊年之介少年の遊び場だったようです。(茨城の文学碑百選 堀込喜八郎著) 写真中央部に鳥居がみえます、その左手に小屋とアパートふうの建築物のあいだに次に示す碑があります。 手前は大北川です。 雨情顕彰碑
    遠く朝日は        
        海よりのぼり     
     千里奥山         
         夜が明ける

              雨 情 漾太郎雨情碑       漾太郎(ようたろう)と刻まれています、漾太郎氏は栃木県の塩原温泉にある和泉屋旅館の主(故人)であり、雨情の門弟でした。 鳥居       この鳥居をくぐり登って行きます。 石炭翁顕彰碑顕彰碑説明石板       この説明板に野口雨情の伯父野口勝一の名が刻まれています。 階段弟橘媛神社本殿神社名板天妃山ゆらい      最初天妃山には薬師如来が祀ってあった。 徳川光圀公が元禄三年(1690)天妃神を祀った(薬師如来を村の寺に移し)。 徳川齊昭公が天保二年(1831)弟橘媛命を祀り天妃神は合祀となった。 腰掛け石    (西山公お腰掛石 :2010年5月27日撮影phot by kobahiro)
 
 徳川光圀公がお座りになった石がありました。 写真右の石塔には西山公(徳川光圀)お腰掛とまでみえます、 今から約300年前に徳川光圀(水戸黄門)がここに座ったのですかね?
天妃山展望
西山公お腰掛け石の 前が天台になっておりました。 野口雨情も子供の頃ここから海をながめていたのだろうか
磯原海岸
(天妃山からの眺望:2009年6月13日撮影phot by kobahiro)
 雨情は青い海、青い空に育まれたのですね。生家の近くにある小高い山(天妃山)からの眺めです、ここには西山公(徳川光圀)腰掛け石がありました、きっと水戸黄門もここからこの眺めをみたのでしょうね。雨情さんも。
磯原小唄
磯原小唄
   野口雨情 詩
   藤井清水 曲

 天妃山から
      ハ 東をね
 東を見れば
      テモヤレコラサ
 見えはしないが
      見えたなら
 あれはアメリカ
      チョイト合衆国

 建立:昭和56年
 刻者:高木東六
 詩碑は茨城県民謡民舞連合会長川崎孫兵衛氏らが中心となり建立した(童心の詩人雨情乃あしあと 渡邊力著)
      次回につづく お楽しみに

詩人 野口雨情を訪ねてその(3)(昼食 北茨城市)

平成22年5月27日(木)
 野口雨情ゆかりの宿「としまや月浜の湯」で会食をしました。
ゆかりとは、としまやさんの先々代と野口雨情は竹馬の友であった(http://info.knt.co.jp/tabi/tv/annai/s_card.asp?CCD=2025&KCD=3 )より

としまや入り口

会食風景

お弁当
新鮮な刺身や美味しい天ぷらなど楽しく会食をしました。


情報
 としまや月の浜の湯
 住所 北茨城市磯原町磯原200−3
 インターネットで「としまや月浜の湯」でも検索できます。


次回へつづく(磯原海岸散歩と雨情歌碑、雨情記念館)

詩人 野口雨情を訪ねて その(2)(雨情さんお墓参り 北茨城市)

 前回からのつづき
5月27日(木)
生家資料館から歩いて雨情さんのお墓参りにゆきました。
国道からお墓
国道を北に歩いて行きあるところを左に(西に向かう)向かうとJR常磐線のガードが見えます。そのさきの森の中にあります。写真正面に見える墓ではありません。

お墓入り口
雨情先生墓と見えますか

 お墓正面雨情墓石250P
今日は5月27日です
野口雨情さんは昭和20年1月27日に亡くなりました。
写真にあるようにこの墓は野口雅夫さんが建てた墓ですね。その脇には栃木県今日は5月27日です、月命日ですね。
没後65年になるのですね。

今日の仲間のなかに、当時宇都宮で野口雨情さんの葬儀が行われました。
その葬儀に参列した方の身内の方が二名おります。
なにか深い縁を感じております。
ここで雨情さんのお墓にみんなでお参りしました。
お墓でコンサート
雨情墓前童謡合唱ぼかし
みんなで雨情さんの童謡を歌いました。

お墓入り口からの海の景
これは雨情さんのお墓の入り口のところから見える磯原の海です。

雨情さんの 磯原小唄 の一節 
  
  あれはアメリカ
      チョイト合衆国

  合衆国はこの写真の方向にあるのでしょう




大きな地図で見る 次回につづく

詩人 野口雨情を訪ねて その(1)(雨情生家 北茨城市)

毎月童謡喫茶「ぐるっぽっぽ」に集まって童謡を歌っている方々が野口雨情の故郷へ行くことになりました。
5月27日(木)宇都宮を8時に出発しました。天気は曇り
宇都宮出発
午前8時集合しました
北関東自動車道
北関東宇都宮ICから一路友部ジャンクション向け走行中です、車中では皆さんが鈴木先生の伴奏で童謡など歌いました。あっというまに生家に着いてしまいました。本当に近いのですね。宇都宮と

雨情生家
(野口雨情生家 北茨城市磯原 2009年6月13日撮影phot by kobahiro)

野口雨情生誕の地 茨城県北茨城市磯原
野口雨情はこの家で明治15年(1882年)5月29日にこの写真のように若葉がきれいな季節に野口家の長男として生まれました。 名前は英吉(えいきち)です。

 さぞかし、雨情が生まれたときは野口家のご両親は嬉しかったことでしょう、お産婆さんにとりあげられた雨情と家族みんなのしあわせそうな情景が思い浮かびますね。
 雨情の家は立派な家で地元では磯原御殿んと呼ばれていました。
 
大北川河口
 (大北川河口:2009年6月13日撮影phot by kobahiro)
 地元の子供達があそんでいた、雨情さんもこのように遊んでいたのでしょうか。?
磯原海岸岩場
 (磯原海岸 岩場:2009年6月13日撮影phot by kobahiro)
野口雨情の友人近所に住んでいた、渡辺年之介氏らと磯でも遊んでいたのでしょうか。?
雨情歌碑
  (磯原海岸 雨情歌碑 :2010年5月27日撮影phot by kobahiro)

    松に松風
          磯原は
       小磯の蔭にも
              波か打つ
 建立: 昭和26年7月  建立者:磯原雨情会 刻書:野口雨情直筆
阿武隈山脈
 磯原から見える阿武隈山脈
 雨情さんはこの山並みを見て育ったんでしょう。

つづく


野口雨情が泊まった 塩原温泉 和泉屋旅館

 「赤い靴」や「あの町この町」で有名な詩人野口雨情ゆかりの旅館に行きました。宇都宮から約2時間のドライブでした。(高速を使わないで、一般道で行きました)  栃木県那須塩原市福渡にある 創業四百七十五年の和泉屋さんの露天風呂に入りました。 隣には大ぶろがありました。大ぶろは少し熱かったですが、すぐなれました。細長い円形のおふろでした。
 露天風呂はちょうど良い湯かげんでした、ふと見ると木の芽が太陽の光に照らされ、ふくらんでいました。
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                待春(たいしゅん)や
                      芽ふくらみて
                           雨情の湯

                             kobahiro
箒川
 露天風呂の前を流れる箒川の景色

 
本館
 道路の北側にある本館(写真右)で受け付けをすませ、地下1階から地下道を通り、文学亭(写真の左側にある木造の建築です)にある温泉です。
雨情の軸
 雨情の命日は1月27日です、本館で雨情の作品が本日1月31日まで展示されていました。
ちょうど社長さんとお客様が、雨情さんの話や、お弟子さんであります、当館の先代であります、14代和泉屋太平(詩人泉よう太郎)さんの話をしておりました、私も同席し拝聴することができ、至福の時間を過ごすことができました。
文学亭
 文学亭と入り口にある歌碑
文学碑 
ここは野口雨情や竹久夢二など多くの文人、画人に愛された宿です。第47代横綱の柏戸も当旅館に宿泊したと社長さんが話して下さいました。


那須/塩原温泉 和泉屋旅館 栃木県那須塩原市塩原190 tel 0287−32−2005

雨情歌碑 さくら市ミュージアム

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