日光街道 宇都宮 静桜

 平成23年4月28日
今日は宇都宮市野沢町にひっそり咲いている「静御前桜」に逢いに行きました。
4月18日にはまだ咲いていませんでした。
静桜1

御前桜と青い空

静桜2

御前桜全景

花に居て 静御前の 舞想う

暁 雲

苧環(オダマキ)
オダマキ


「しずやしずしずのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」




宇都宮には源頼朝、義経、静御前に関わる話があります。




宇都宮落城 新選組土方歳三

 平成23年4月17日(日)
今日も良い天気です、桜散策です。



うつのみや戊辰戦争ゆかりの地へ行きました。

それは143年前に起こりました。

慶応四年(1868)四月十九日
(新暦五月十一日)です。

宇都宮城への進攻の朝

旧幕府軍は

満福寺門前で黒羽藩斥候(せっこう)三名を

軍神への手向けとして処刑した。

(下野の戊辰戦争 大嶽浩良著 下野新聞社発行 より)

満福寺 と桜

樹齢350年のイチョウ

旧幕府軍の本陣 満福寺
(栃木県河内郡上三川町大字東蓼沼)

旧幕府軍
(会津藩士 秋月登之助・新選組 土方歳三率いる)


満福寺門前

この門前で処刑されたのでしょうか

午前七時すぎにこの地を立ち宇都宮城へ向かったのでした。

菜の花

満福寺と菜の花

蝶々が舞い、野鳥の声、虫の声が聞こえました

お寺からは念仏が聞こえてきました


菜の花や いざ出陣の 寺の前

暁雲


芝桜

満福寺中門と芝桜

歳三の 出陣の寺 風光る

暁雲


より大きな地図で うつのみや戊辰戦争 を表示

うつのみや戊辰戦争 と 桜

 平成23年4月15日
今日のうつのみや は 桜満開 そして 桜吹雪でした

143年前の宇都宮で

その時宇都宮城下では旧幕府軍と宇都宮藩との攻防が繰り広げられていました。

うつのみや戊辰戦争です。

慶応4年(1868)4月19日(新暦では5月11日)の朝本陣とした満福寺門前で黒羽藩士を軍神への手向けとして処刑した。・・・・・・下野の戊辰戦争 著者 大嶽浩良

処刑して、一路宇都宮城へ向かった。
山門門
栃木県河内郡上三川町大字東蓼沼 満福寺

一路宇都宮城へ

田川に架かる簗瀬橋をわたり、下河原もんから宇都宮城内へと進軍した。

簗瀬橋
一級河川田川に架かる橋です、平成通りの一本上流です。


その時城下は火の海になったのでした。

あと26日後の5月11日に土方歳三率いる旧幕府軍が宇都宮城を落としました。



平成23年4月の宇都宮

ここは宇都宮市西原1丁目4−12 の清映山 光琳寺です。

光琳寺


ここには官軍と旧幕府軍の墓が向かいあって眠っています。

官軍の墓
官軍の墓
因幡藩士
山国藩士
旧幕府軍の墓

旧幕府軍の墓
桑名藩士の墓

満開の桜

桜満開でした

官軍の墓には鳥居があり、旧幕府軍にはありません

この寺には敵同士が向かい合って眠っておりました。

きっと

恩讐の彼方に

なっていることでしょう



国憂い 敵と味方の武士(もののふ)の
相対峙して 花の散るらむ

暁 雲

若い命がこの宇都宮の地で散っていったのですね。









雨情の森の桜(鶴田沼)

 平成23年4月12日
久しぶりに雨情の森に行きました沼の桜1
nikon D70 SIGUMA DG 150-500mm
午後でした桜の下から撮影
なんときれいでしょう

桜を見ると 春の歌を口ずさみます

 春の歌(大正11年(1922))
  作詞 野口 雨情
  作曲 草川 信

1  桜のはなの咲く頃は
  うらら うららと 日はうらら
  ガラスの窓さえ みなうらら
  学校の庭さえ みなうらら

2  河原で雲雀(ひばり)の鳴く頃は
  うらら うららと 日はうらら
  乳牛舎(ちちや)の牛さえ みなうらら
  鶏舎(とりや)の鶏さえ みなうらら

3 畑に菜種(なたね)の咲く頃は
 うらら うららと 日はうらら
 渚(なぎさ)の砂さえ みなうらら
 どなたの顔さえ みなうらら

「youtube 春の歌 (野口雨情 草川信) ミク」で検索して下さい
聞けますよ

沼と桜
沼の西側から桜を撮りました
春ですね
湖上の月
nikon D70 SIGUMA DG 150-500mm
湖上の月面
アップにしてみました
クレーターがよく見えますね
野口雨情さんには雨降りお月という童謡があります

雨降りお月さん 
雲の蔭(かげ)

お嫁にゆくときゃ 
誰とゆく

ひとりで傘(からかさ)
さしてゆく

傘ないときや
誰とゆく

シャラ シャラ シャン シャン
鈴つけた

お馬にゆられて
濡れて行く

野口雨情さんは昭和19年に宇都宮の
この沼の森北側羽黒山下の鹿沼街道沿いに
東京から疎開して住んでいたのです

今でも旧居があります。



 雨情のもり 春の胎動を感じました
沼の胎動

沼にはオタマジャクシが ふ化していました、沼の友達が沢山でてきますよ

森の花木の芽
森の木たちも目が覚めています
芽吹いています

森の王者
nikon D70 SIGUMA DG 150-500mm

沼の王者がそっと見つめています
それは狩人の目ですね

春の沼
鶴田沼

それは4時頃でした

画面の左側から右側に野鳥がとんでいました

それはカワセミでした
初めて見ました
水色の宝石ですね

いそいで望遠レンズを向けましたが
残念でした

本当に今日は良い日でした。

これから

この沼南岸一面が桜の葉で埋め尽くされます

きれいですよ

森の向こう側には
野口雨情の旧居があります

関東バスで鹿沼行き
羽黒下で下車して、羽黒山の桜をみてください
それから南に歩いてくると
この沼に尽きます

それではさようなら




うつのみやヒミツめぐりツアー 文学の道(4/4) 牧水


 つづき
平成23年4月9日(土)若山牧水
文学の道(4)牧水

最後の場所に着きました。
晴れていれば蒲生神社まで行く予定でした。
雨のためここ二荒山神社の桜で終了です。

二荒山神社の桜

雨の二荒山神社と桜

それでは、牧水が詠んだ歌です(大正9年)

ひとしきり散りてののちをしづもりて

うららけきかも遠きさくらは

もう半世紀余り昔になるその頃の宇都宮市は交通も砂利道の人力車時代で、町の中や近郊に桜樹の多い丘陵があり、西郊の第14師団施設を貫通する桜並木は名高い花の名所で、桜の軍道と称せられた。
 牧水は桜を愛した歌人であるがその作品の中でもこの二首は光っているものだ。
 中略
 うららかな春の日ざしの中に、咲き満ちている桜の花が、一しきり目ざましいほどちっていたのが(その日、忽然と雷雨があったという)、風雨が絶えたのだろう、ふと散りやめたと思うと嘘のようにひそまりかえって、ただうららかに照り輝いている。というのである。

 二首とも用語が洗練されていて、声調が美しい。力作という感じではないが、おのずから生み出された珠のような作であり、ほのぼのとした明るさと温みがあり、彼の自然の中でも私の好きなうたである。・・・・・・・・(谷邦夫 著 短歌新聞社 発行)

なお二首とは、上記の歌と御橋で詠んだ

「町なかの小橋のほとりひややけき風ながれゐてさくら散るなり」

この歌のことであります。
二荒山神社で説明
二荒山神社にて説明を聞く参加者

予定より1時間30分も早く終了してしまいました。

これからみんなで童謡喫茶店「ぐるっぽっぽ」に行きました。
ぐるっぽっぽ看板
野口雨情の童謡を聴き、美味しいケーキと
オーナーの I さんが入れて下さった美味しいコーヒーを味わいながら
来年もやりましょうと話が盛り上がりました。

おわり





うつのみやヒミツめぐりツアー 文学の道(3/4) 蕪村

つづき
平成23年4月9日(土)AM
文学の道(3) 蕪村

今日は雨がふっています、風流なものですね。
きょうの散策どうしますか・・・・朝一番電話がありまし。
きょうを逃したら来年になります
やりましょう
と・・・・・・・

 牧水の歌碑の次は江戸の俳句の巨匠「与謝蕪村」です。
今の宇都宮にぴったりの俳句みつけました。

春雨にぬれつつ屋根の手鞠かな

与謝蕪村

 大通りを渡り、二荒山神社です。階段を右に見て女坂を登りました。 

女坂
平成23年4月11日撮影(次の日に撮影)
女坂(正面階段の左側の階段)
左側の桜の下に宰鳥(蕪村)句碑
門

桜咲いています、蕪村の句碑前の四阿に着きました。

宰鳥句碑
句碑
鶏は羽にはつねをはつねをうつの宮柱


 蕪村とは

 蕪村は享保元年(1716)大阪市豊島区毛馬町で生まれました、18歳のころ江戸に出て画俳を志した。22歳の秋夜半亭宋阿(やはんていそうあ)の門に入り宰町(さいちょう)と号しその後宰鳥(宇都宮の句碑に刻んである)と改号した。27歳のとき、師宋阿が没し結城市にいた、砂岡雁宕(いさおかがんとう)に身を寄せた。28歳で芭蕉の足跡をたずね奥羽の旅に出た。
 翌年砂岡雁宕の娘婿の宇都宮の佐藤露鳩(さとうろきゅう)方で29歳の春を迎えた。ここで初めて「宇都宮歳旦帖」(うつのみやさいたんちょう)を編集した。
 歳旦帖とは自分の門弟の発句を集めて刷ったもので宗匠(そうしょう)としてはじめて一家をなした宣言になる。

鶏は羽に句
句碑拡大

鶏は羽にはつねをうつの宮柱
(とりははにはつねをうつのみやばしら)

宰 鳥
宰鳥石碑

古庭に鶯啼きぬひもすがら

蕪 村

句説明板
句碑説明板

宰鳥(蕪村)句碑の記
 俳聖与謝蕪村は、寛保三(1743)年歳末に宇都宮の俳人佐藤露鳩の許を訪れて当市に滞在、翌年正月に蕪村最初の「歳旦帖」を編集発行した。
 それは表紙に、この碑の上部にあるように円の中に次の文字をあしらった、ユニークなものであった。
「寛保甲子 歳旦歳暮吟 追加春興句 野州宇都宮 渓霜蕪村輯」
その中で蕪村は、それまで使っていた「宰鳥」の号で、「いぶき山の御燈に古年の光をのこし、かも川の水音にやや春を告げたり」と前書して、この碑にある
 鶏(とり)は羽(は)にはつねをうつの宮柱(みやばしら) 宰鳥
の句を詠んだ。
これは当社宇都宮二荒山神社の社頭で新年の夜明けを迎えた鶏(にわとり)が、勢いよく羽ばたいている姿に寄せて、この地で俳諧師としての第一声をあげた喜びを詠んでいる。
また表現も「羽をうつ」と「宇都宮」、「宮」と「宮柱」とを掛けた華麗な句である。
 こうした事実が、今まであまり知られていなかったのを極めて残念に思い、このたび多くの方々のご支援をいただいて、その事蹟を顕彰するためにここに記念の句碑を建立した。
 なお、「歳旦帖」で初めて「蕪村」の号を用いている。
 古庭(ふるにわ)に鶯啼(うぐいすな)きぬ日もすがら 蕪村
の句碑が、仲町の生福寺(しょうふくじ)境内にある。姉妹句碑として愛されることを念願する次第である。

        平成11年11月
                 蕪村顕彰会
                 宇都宮二荒山神社
                     
成島行雄 撰文

 以上説明板の写真内容であります。

 この時宰鳥から蕪村に宇都宮の地で生まれ変わったのである。


 今から約270年前この二荒山の地で、宇都宮の佐藤露鳩一派と蕪村が句作を行っていたのですね。



参加者みんなで桜樹の基に集まり
雨降る肌寒さの中
今から約270年前の江戸時代の宇都宮に
思いを馳せた瞬間でした
四阿

ここで一句です。

花に居て蕪村誕生句碑の前

暁 雲


つづく



































 

うつのみやヒミツめぐりツアー  文学の道(2/4) 若山牧水

 つづき
平成23年4月9日開催

宇都宮城址公園での説明を終えて移動です一路「釜川の御橋」まで、城内を歩いています。
傘の花咲く歴史軸
正面には宇都宮中央郵便局のビルとその右側にうっすらと二荒山神社南にあるパルコのビルが見えます。

文学の道(2)


花の街 傘の花咲く歌碑巡り

                    暁 雲


御橋
釜川に架かる「御橋」前日(4月8日)に撮影

 お殿様がお城から二荒山神社に行くときこの朱塗りの橋を渡ったそうです。

 今から91年前になりますが、大正9年4月19日にこの橋のほとりで旅と酒の歌人若山牧水が宇都宮の風土を詠んで下さったのですね。当時はこの道に桜並木があったようです。

町なかの小橋のほとり

ひややけき風ながれゐて

さくら散るなり


牧 水

 

歌碑
牧水の歌碑

 今日は当時の「ひややけき風」を感じました。大正のその日は雷雨のあとだったそうです。そういう意味では当時にタイムスリップした感じを参加のみんなで体感しました。

これは宇都宮のここでしか味わえませんね。

牧水亭
牧水亭に集まる参加者と垂れさくら右手に見えるのが御橋です
平成23年4月9日(土)
集合写真
この牧水亭の右側(下流に向かって右)に歌碑があります。

牧水歌碑説明
牧水亭にある説明板


「 旅と酒を愛した歌人、若山牧水は大正九年四月十九日、宇都宮で開かれた「下野歌人会」に出席、若い県内歌人を指導した。
 歌会に先だち、牧水はバンバの南、釜川にかかる「御橋」の傍の桜並木と、二荒山神社の表参道右手の桜を素材に、

まちなかのこばしのほとりひややけき風ながれゐてさくら散るなり

ひとしきりちりての後をしづもりてうららけきかも遠き桜は

と詠んだ。
 この二首は歌集「くろ土」に「宇都宮市にて」と詞書がついて収録されている。
 若山牧水は明治十八年、宮崎県に生まれた。尾上柴舟に師事短歌雑誌「創作」を主宰、数多くの後進を育て、明治、大正の歌壇に大きな足跡を残した。
 この歌碑は、宇都宮市が釜川の河川改修を記念し、ゆかりの地に建てた。
                                            渋谷行雄 識  

    以上現地にある説明板の写真と文面です。


牧水の歌碑に集まり花の雨

                暁 雲

最後の二荒山神社へ
つづく 



うつのみやヒミツめぐりツアー  文学の道(1/4)蓮生、信生、蓮瑜

平成23年4月9日(土)雨
第4回うつのみやヒミツめぐりツアーを開催しました。
参加者は全員で10名でした
 今日はあいにくの(絶好の?)雨のお花見のツアーです。
参加者はそれぞれ、傘にレインコートなどでした、朝一時強く降りましたが、集合の10時頃には雨脚が弱くなりました。それではまず平安時代にタイムスリップです。

文学の道(1)

 ツアーの起点は宇都宮城土塁内「宇都宮城ものしり館」です。
城の説明
壁の宇都宮城本丸の図面、と本丸の模型を前にして


中世の宇都宮

 城主は、宇都宮氏です。鎌倉幕府の有力な御家人として活躍した宇都宮氏五代当主 頼綱(よりつな)(1172−1259)が百人一首の生みの親として有名です。祖父の三代朝綱(ともつな)の時代には京都に邸宅をもち小さいときから都の生活になじんでいたと思われる。

  頼綱16歳の時の歌

   ゆく末も おぼつかなきを いかにして しらぬ山路を ひとりこゆらん

 祖父が土佐に流されるときに気づかって詠んだ

   元久2年(1205)27歳のとき、謀反の疑いを幕府からかけられ出家して蓮生法師となり、弟朝業(後に出家して信生法師)が幕府へ使えた。
   

 弟朝業は歌の才能が認められ将軍実朝(さねとも)のそばに置かれた。

  将軍から朝業(ともなり)に(1212年2月1日)梅の花一枝に歌を添えて贈った

きみならで たれにかみせんわが宿の 軒ばににおふ梅の初花

釜川の梅の花びら
平成23年3月9日撮影 nikonD70
 
 朝業は将軍からの歌と覚って朝業(1174−1248)が

うれしさもにほひも袖に余りけりわがためおれる梅の初花

 と返したそうです。

 小倉百人一首生みの親「宇都宮蓮生」

 蓮生の嵯峨の山荘に飾るため、天智天皇から家隆や雅経までの人々の歌を色紙に書いて与えたと藤原定家の日記に記してある。これが後に他に歌を加えるなどして「小倉百人一首」になった。

 蓮生の歌

秋はぎの咲き散る野辺の朝霧になお立ちぬれて鹿そ鳴くなる

いつしかとかすみもあへぬ山のはのあさひよりこそ春はみえけれ


宇都宮氏第七代当主 景綱(沙弥蓮瑜) (1235−1298)

あけわたる嶺の霞のたえまより桜にのこるいりかたの月

たづねくる苔の跡まで見えわかで昔をうづむ山桜かな

春ごとの花のわかれになほたへて命ながくも見る桜かな

 景綱は鎌倉幕府の評定衆を勤め武家法としては最も早い時期のものといわれる。「宇都宮弘安式条」を制定した。当時の宇都宮の人口は約二千人(現在50万都市)と当時北関東の大都市でまさに最盛期であった。文化経済の中心であったことでしょう。

宇都宮氏の繁栄

 宇都宮は初代藤原宗円からはじまり、安土桃山時代の22代宇都宮国綱(1607)が豊臣秀吉に所領を没収されるまで存続した。(前九年の役の1062年〜1607年までの約500年余)
 その間に五代「頼綱」(蓮生法師)と弟「塩谷朝業」(信生法師)、七代「景綱」(蓮瑜)(れんゆ)により宇都宮の歌の文化を築き上げた。それは京都歌壇鎌倉歌壇に次ぐ宇都宮歌壇の隆盛を極めていた。

 蓮生、信生が小さいときにすでに京都に邸宅があり、都ふうの生活になじんでいたようです。
 蓮生は出家して京都で当代一流の歌人藤原定家に師事した。
 定家の子息と蓮生の娘との婚姻により京都歌壇との深い関係ができていったようです。


江戸時代の宇都宮

 宇都宮城の模型で本丸の説明です。これは江戸時代の元和5年に28代宇都宮城主本多正純(ほんだまさずみ)が町割をしました。
 
 現在ふくげんされた本丸の西側で全体の1/3位になります。
堀と土塁(どるい)と櫓(やぐら)が当時の図面等を元に復元されているようです。土塁と櫓合わせ約20mの高さ。

 本田正純は元和(げんな)5年から元和8年の3年間という短い期間で奥州街道の付け替えや日光街道の整備など現在の宇都宮市の骨格を造るなど比類なき仕事をなしとげた。
宇都宮の恩人であります。

 怪異宇都宮釣天井 [DVD]がAmazon.co.jpで販売しています。徳川三代将軍家光の暗殺をめぐる、宇都宮藩の陰謀を描いた作品 とありますが事実は本田正純の時の将軍は徳川二代将軍秀忠です。


つづく
   
 

牧水の詠んだ 二荒山神社の桜

今日午前中に二荒山神社に行きました。(平成23年4月8日)
若山牧水が大正9年4月に二荒山神社境内からの眺望した桜

ひとしきり散りてののちをしづもりてうららけきかも遠きさくらは

牧水

大鳥居
二荒山神社の鳥居
階段
二荒山神社、右手に桜があるがまだ早いようだ

二荒山神社
二荒山神社

ここから桜通りの桜が見えたのでしょうか
桜並木
昭和初期の桜の軍道(現在の桜通り)

牧水の歌碑 うつのみや

 大正9年4月に宇都宮にて若山牧水が詠んだ

町なかの小橋のほとりひややけき風ながれゐてさくら散るなり

若山牧水

歌碑

「宇都宮市にて」と題した歌である。大正9年4月18日に、宇都宮市で当地創作社支部主催で開かれた「下野歌人会」に出席したときの歌である。(著者 谷邦夫 短歌新聞社発行 評伝若山牧水)

町なかの小橋とはこの写真にある御橋のこと
御橋
御橋

この橋は
明治31年当時は木橋でここから二荒山神社全景が見えました。

釜川から牧水亭
牧水亭と垂れ桜(釜川下流側から)

牧水亭から

牧水亭から下流の垂れ桜を
椅子があり座って桜を眺めることができます。
昨年はバイク自転車置き場になっていましたが
本来の姿にもどりました
すばらしい
河川管理者(宇都宮市)のご努力に感謝
牧水亭
牧水亭と御橋(朱塗りの橋)


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